導入文 21世紀最大の歌姫、Adele(アデル)。彼女のミュージックビデオは、単なるプロモーション映像ではなく、グザヴィエ・ドランをはじめとする気鋭の映画監督たちが、彼女の楽曲の魂を視覚化しようと挑んだ短編映画のような作品ばかりです。今回は、数々の記録を打ち立てた名曲たちを、映像に隠された「メタファー」や「制作秘話」と共に紐解いていきます。
Adele – Hello
「フリップ・フォン(ガラケー)を使っているのはなぜ?」公開当時、海外のネット界隈ではこの議論が白熱しました。グザヴィエ・ドラン監督(カナダの若き天才)によると、これはiPhoneのような現代的なデバイスが持つ「現実感」を排除し、彼女が「過去の記憶」の中に孤立していることを表現するための意図的な演出でした。セピア色のフィルター、埃をかぶった家具、そしてIMAXカメラで撮影された最初のMVとしての圧倒的な画力。彼女が電話をかける相手は、元恋人ではなく「若かった頃の自分自身」だという解釈を知ってから見直すと、冒頭の溜息の意味が全く違って見えてきます。
Adele – Rolling in the Deep
サム・ブラウン監督によるこの映像は、アデルがただ椅子に座って歌うだけの静的なシーンと、背景で起こる破壊的なカオス(振動する水、割れる皿、舞う白い粉)との対比が鮮烈です。特に、コップの水が振動するシーンは『ジュラシック・パーク』のT-レックス登場シーンへのオマージュではないかと噂されました。白い粉の中で踊るダンサーは、彼女の心拍や内なる鼓動を視覚化したもの。明確なストーリーを描かず、抽象的なイメージの連続で「愛の裏切りに対する怒り」を表現しきった、アート性の高い傑作です。
Adele – Someone Like You
早朝のパリ、セーヌ川沿いをただ歩く。それだけの映像がなぜこれほど胸を打つのか。監督のジェイク・ナヴァは、人通りが全くない瞬間を狙うために徹底したロケハンを行いました。モノクロームの映像は、彼女の孤独と「世界から色が消えてしまった」失恋の喪失感を象徴しています。海外メディアでは、彼女が何度も後ろを振り返る仕草について「過去を気にしつつも、足だけは前に進んでいる=再生への意志」と評されました。派手な演出を一切排除し、アデルの表情と歌声だけで成立させた、引き算の美学の極致です。
Adele – Skyfall
映画『007 スカイフォール』の主題歌である本作は、アデル本人が出演しない「リリック・ビデオ」という形式でありながら、そのクオリティの高さで伝説となっています。背景で刻々と変化する配色は映画のオープニングシークエンスと完全にリンクしており、単なる歌詞表示を超えた没入感があります。特に「When it crumbles(崩れ落ちる時)」という歌詞に合わせて背景が崩壊していく演出は鳥肌もの。映画の公開前に、このビデオだけで「最高傑作のボンドソングになる」と批評家たちに確信させた、映像と音楽の完璧な融合です。
Adele – Easy On Me
『Hello』と同じグザヴィエ・ドラン監督が、同じ家で撮影した「続編」とも言える作品です。『Hello』では埃を払い家に入ってきた彼女が、今作では荷物をまとめて家を出て行きます。この対比は、過去への執着からの脱却と、離婚を経て新たな人生へ踏み出す決意のメタファー。映像がモノクロからカラーへと変わる瞬間は、彼女の視界が開け、人生に再び彩りが戻ったことを意味します。車中で流れるカセットテープの演出を含め、彼女の個人的な人生のチャプターの移り変わりを、ファンに最も伝わる方法で映像化した名作です。
Adele – Set Fire to the Rain
ロイヤル・アルバート・ホールでのライブ映像ですが、多くのファンにとってこれが「公式MV」以上の意味を持っています。なぜなら、この直後に彼女は声帯の手術を受けることになり、この映像こそが、手術前の「あの頃の声」のピークを記録した歴史的瞬間だからです。CD音源よりもエモーショナルで、少しハスキーな歌声が、楽曲の持つ悲劇性をさらに高めています。観客全員が息を呑んで見守る中、彼女が最後のサビで感情を爆発させる瞬間は、何度見ても涙腺を刺激される、ライブ・パフォーマンスの金字塔です。
Adele – Send My Love
ドルチェ&ガッバーナの鮮やかな花柄ドレスを着たアデルが、黒背景の中で何重にも重なり合う(多重露光)サイケデリックな映像。監督のパトリック・ドーターズは、カメラの動きを極限まで計算し、彼女の動きが「亡霊」のように残像を残すエフェクトを作り上げました。これは、過去の恋の記憶が今の自分に重なり、やがて消えていく様を表しています。元恋人に「新しい彼女を大切にしてね」と皮肉たっぷりに歌うポップな曲調とは裏腹に、映像自体は非常にミニマルでアート志向。アデルが直立不動ではなく、少し踊りながら歌う姿も珍しく、新鮮な驚きを与えました。
Adele – Oh My God
『Rolling in the Deep』のサム・ブラウン監督と10年ぶりの再タッグ。大量のりんご、木製の椅子、そしてニシキヘビ。「エデンの園」をモチーフにしたこのビデオは、彼女が「罪(誘惑)」と向き合う葛藤を描いています。実は撮影時、アデルはニシキヘビが怖すぎて走って逃げたという裏話も。画面上に複数のアデルが登場するのは、理性と欲望の間で揺れ動く多重人格的な心理状態の現れ。最後には椅子を燃やし、りんごをかじることで「自分の欲望に従って生きる」という覚悟を決めた、彼女の力強い宣言が込められています。
Adele – When We Were Young
ロンドンのチャーチ・スタジオで撮影されたスタジオ・ライブ映像ですが、そのあまりの完成度に、通常のストーリー仕立てのMV制作が見送られたという逸話があります。マイクの前でただ歌うだけ。しかし、曲のクライマックスで彼女が見せる、感極まって泣き出しそうな、それでいて微笑んでいるような表情の演技力(あるいは素の感情)は、どんな俳優も敵いません。曲が終わった瞬間に見せる、ふっと我に返ったようなチャーミングな笑顔まで含めて、アデルという歌手の人間力がすべて詰まった5分間です。
Adele – Chasing Pavements
アデルの名を世界に知らしめた初期の傑作。ハイドパーク(設定はロンドンですが撮影はLA)での交通事故現場で、地面に横たわるカップルが「動かないまま踊る」というシュールな演出が話題を呼びました。これは「死んでいるような関係性なのに、それでも離れられない」という腐れ縁のメタファーです。アデル自身は事故の当事者ではなく、木陰からそれを見つめる観察者として登場します。彼女が当時経験していた「出口のない恋愛」を、交通事故という衝撃的なビジュアルで表現したマシュー・カレン監督のアイデアが光ります。
エステラ 